ハロー!うくれれです。
突然ですが、パラレルワールドという言葉を聞いたことがありますか?
パラレルワールドを日本語に直すと「並行世界」だそうで、SF映画や小説なんかでもよく登場する世界観ですよね。
あまりなじみのなかった「パラレルワールド」ですが、足を切断してから並行世界は実際に存在するんじゃないかという思考が生まれた話をしてみようかなと思います。
なんだか怪しい雰囲気の記事になりそうですね。。。
パラレルワールドは存在する?足を切断して別次元へ飛ばされた私
足を切断してから人生が一変し、今まで自分が歩んできた「自分」とは全く別の人物として存在しているような気持ちになっていました。
足がなくなる前までの自分はもう死んでしまい、その記憶だけを引き継いだ新しい自分が未知の世界に生きているというか。。
自分なんだけど、自分じゃない。
それはとても不思議な感じでした。
九州の田舎町で生まれ、育ち、膠原病を発症し、海外移住し、結婚、出産、子育てという一連の流れから続いている人生のレールは、終わりまでまっすぐ伸びていると思っていた。
しかし、足を切断した瞬間に、一本道だと思っていたレールに突然分岐点が発生し、枝分かれした方に進んでしまったんだと。
病気のせいで体重は30kg台となり、右足は無くなり、左足も動かない状態。
両手の指はマヒしてお箸もにぎれない。
母親として子供たちの世話もできず、存在している意味が分からない。
何でも自分でできていた身の回りのことが一切できなくなり、足を切断する以前の自分はもうどこにもいなかった。
そんなことはお構いなしに、時間はどんどん過ぎていきます。
ぼんやりとカレンダーを眺めながら、
本当だったら今頃日本に帰国して、桜の季節を楽しんでいるのに・・・
本当だったら息子がやっと幼稚園に入って、自由な時間が増えるはずだったのに・・・
本当だったら仕事を探して、社会復帰をしているはずだったのに・・・
本当だったら、
本当だったら。
旦那に泣きながらそんな気持ちを伝えたら、「今年はあなたにとって良い一年になるはずだったんだね」と言われたのをよく覚えています。
そう、その年は忙しく充実して過ごす予定だったのに、現実はそれと程遠い真っ暗闇の中に生きている。
いつの間にか私は、あるはずだった未来の自分の姿が、どん底で泣き続ける私とは違うどこかに、今も存在しているのでは?と本気で思うようになったんですね。
これって、パラレルワールドというやつ?
パラレルワールドの意味は何となく知っていたけど、詳しく調べたことは無くて、思い出すものと言えば、この映画くらい。
小学校低学年の頃に57回くらい見た『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』を久しぶりに見たくなり、20年以上ぶりに見た。懐かしい。
子どもの頃は怖かった記憶があるけどホラー要素あるよなぁ。 pic.twitter.com/sYz4bp67x8— マツケん (@matsu_k3) May 10, 2019
あらためてググってみたら、「パラレルワールド」とはこのように定義されている世界観ということが分かりました。
パラレルワールドとは
パラレルワールド(Parallel universe, Parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空とも言われている。
引用:Wikipedia
ほらね、まさに私が感じていた通りの世界が「パラレルワールド」なんです。
あの頃は、なぜこんなことが起こってしまったのかと過去を振り返り、記憶の中のあらゆるポイントで「こうしておけばよかったのに」という間違いを探し続けていました。
その間違いを修正すれば、枝分かれした世界から、元通りの世界に戻れると思っていたのかなぁ。
病気や災害で急に生活が一変したり、大切な誰かを突然失ってしまったなど、これまで歩んできた人生とはかけ離れた変化を体験した場合、私と同じような考えを持ってしまう人って多いのではないかなと思います。
パラレルワールドがあるなら足を切断しなかった未来に生きたい?現在の想い
足を切断した当時は本当にパラレルワールドがあって、足がある自分は別世界で元気で幸せに暮らしているんじゃないか?
本気でそう思っていた時期は過ぎていき、今ではパラレルワールドについて考えることもなくなりました。
足を切断した後に思っていた、「それまでの自分は死んでしまって記憶だけを引き継いだ新しい自分が未知の世界を生きている」という感覚もなくなりました。
言葉にするのは難しいんだけど、線路で言うと本線から支線に分かれ、また本線に合流した、みたいな?
でも、支線だと思っていた道が実は本線だったのだろう。
それを認め、足を切断する前の自分と今の自分がしっかりと一本のレールの上に存在しています。(正気に戻ったともいう。)
義足になってから早4年経ちますが、今の自分はとっても幸せだと思うし、日常の些細な事や、家族や友人とのやりとりの全てに喜びを感じて生きています。
もし足を切断しなかったら、ここまで日常の全てに感謝して、穏やかで、晴れやかな気持ちで過ごすことはなかったかもしれない。
4年前の苦しみの恩恵と言えばそうなのかもしれないですね。
ではもし、本当にパラレルワールドがあるとしたら?
今すごく幸せな世界を生きているけど、この世界をはなれて足を切断しなかったパラレルワールドの自分を生きたいか?
答えはもちろんイエスだな。
やっぱり生まれ持った足があった方が絶対にいいもん。
足切断という大きな試練のおかげで気づけた幸せもあるけど、幸せになるのに大きな試練は必須ではないし。
どんな状況にいても、幸せを感じるのは自分の「幸せ感知能力」次第だからね。
足があって幸せならそれに越したことはないけれど、、、でもパラレルワールドには行けないから、今ある幸福に感謝して、もっと大きくしていこうと思うのです。
おわりに
パラレルワールドって、物語の世界の話だと思っていましたが、その種の学者さん達がその存在をまじめに議論しているそうですね。
この記事を書くにあたって調べていたんだけど、宇宙や時空が同時に複数存在するって、なんだか夢があっておもしろいですよね。
でも量子論だとか、宇宙の多重発生だとか、観測の領域がどうだとか、結構難しい。
やっぱり私には「パラレル西遊記」あたりで不思議な世界を楽しむのが一番あっているんだろうな~。