うくれれのプロフィール

「Hello Ukulele」への訪問ありがとうございます。

 

こんにちは、初めまして。うくれれです。

 

このサイトは、普段の義足生活や、10代の頃から付き合っている膠原病(全身性エリテマトーデス)のこと、15年以上住み続けている海外でのお話などを綴っていくブログです。

 

このページでは私「うくれれ」の自己紹介をさせていただきますので、お時間があればご覧くださいね。

 

うくれれの略歴~からだ編~

Hello Ukulele

・九州の漁師町生まれ

・中学ではソフトテニス部(強豪校)所属

・16歳の春に膠原病(全身性エリテマトーデス)発症

・2008年:海外移住

・2011年:長女出産

・2014年:長男出産

・2018年:膠原病再燃による血栓のため右足膝下を切断し、義足ユーザーとなる

 

九州の片田舎にある、お魚が美味しいことで有名な漁師町で生まれました。

 

実家の裏に海水浴場があったため、幼いころから海が遊び場で、夏も冬も浜辺で過ごしていました。

 

兄と弟がおり、男兄弟に挟まれて育ちましたが、友人からは女の子らしくておとなしいとよく言われていますし、自分でも穏やかな性格だと思っています。

 

小学校4年生の時にソフトテニスを始め、中学では県内きっての強豪校で毎日厳しい練習を続けていました。

 

そのころは日焼けも気にせず、真夏の炎天下で何時間も練習をしていましたが、膠原病の症状などはまだなく、健康優良児でした。

 

高校に入学してからは帰宅部となり、新しくできた友達と楽しく過ごす日々が始まりました。

 

学校生活にも慣れ、学年は2年に進級。

 

一学期が始まってすぐに、ほっぺから鼻にかけて赤い蕁麻疹のようなものが出てくるようになりました。

 

皮膚科に行ってみたところ、化粧かぶれではないかという診断。

 

そのころは徐々にお化粧を始める友達もあらわれ、自分もパウダーを使ったりしていたので、それが肌に合わなかったのかな、と納得し、皮膚科の治療を続けました。

 

しかし一向に良くなる気配はなく数週間が過ぎ、それと同時期に体のだるさや疲れ、関節の痛みがひどいなと感じるようになりました。

 

家族にすすめられ別の皮膚科を受診したところ、皮膚の発疹と全身症状から、「もしかしたら膠原病ではないか?」と言われ、血液検査を受けたところ、お医者さんの診断がビンゴ!

 

大きな病院を紹介され、受診するまで待っていた数日の間に症状は悪化し、意識が飛んでしまったため、夜中に緊急で病院に駆け込みました。

 

そのまま入院することになり、パルス療法を受け、ステロイド1200㎎の投薬から徐々に減量し、4か月後に退院することができました。

 

高校を卒業してからすぐに就職し、普通の女の子たちと変わらない青春時代を送ることができました。

 

気を付けていたことと言えば、日光を避けること、疲れすぎないこと、日々のお薬を忘れないこと、定期的に通院することくらい。

 

二十歳を過ぎてから英語に興味が湧くようになり、英会話を習っているうちに海外で生活してみたいという夢が生まれました。

 

膠原病があるので海外生活は難しいかも?と思いましたが、これまでの人生の中で同じ理由で踏み出せなかった数々の経験から、病気のせいで夢を諦めたくないという思いが強くなりました。

 

かかりつけの医師に相談したところ、「やりたいことはやったらいい」と賛成してもらえたので、満を持して海外へ出発!

 

初めての海外はワーキングホリデーで行先はニュージーランド。

 

人生で一番面白く、スリリングで、幸せすぎる一年間を過ごしていた時に出会った男性とのちに結婚することになります。

 

ワーホリのビザが切れた後一旦帰国し、再度ニュージーランドにわたったのが2008年のことでした。

 

足を切断することになった理由

 

結婚し、2人の子供も授かり、ママとして妻として忙しくしていた頃に膠原病が再燃しました。

 

日本の病院とは違う対応の遅さに自分の身体が絶えることができず、治療のために入院した病院でどんどん症状が悪化。

 

右足に血栓がいくつもできてしまい、手術で除去するも取りきれなかった血栓の影響で右足が壊死し、膝下から切断することになりました。

 

自分の人生にはあり得ないと思っていた地獄のような出来事についていくのが精いっぱいの日々。

 

病状は徐々に回復していき、義足で歩けるようになってからだんだんと以前の自分を取り戻していきました。

 

沢山の人達の支えや優しさのおかげで、現在は心の底から幸せだなと感じる日々を過ごすことができています。

 

うくれれの略歴~海外編~

ウクレレの略歴海外編

・2006年:ニュージーランドワーホリ

・2008年:ニュージーランド完全移住・国際結婚

・2011年:長女出産

・2014年:長男出産

・夫:台湾生まれニュージーランド育ち

 

九州の田舎の漁師町で生まれ育ち、かねてよりの目標だった海外生活に挑戦。

 

初めての海外が長期滞在のワーホリという、なかなか度胸のある海外生活では、オーペアとして現地のファミリーにお世話になる。

 

オーペアとは

「オーペア」とは、住み込みで働くベビーシッター兼お手伝いのお仕事。

日本ではあまり浸透していませんが、海外では幼い子供がいる家庭でオーペアを雇って忙しい家族の代わりに家事や子供の面倒をみてもらうのは珍しくありません。

オーペアは、家事や育児などを手伝う代わりに、自分の個室と食事、少しのお小遣いをもらうことができます。

ワーキングホリデーでオーペアをしながら英語の勉強や旅行などを楽しむ人は沢山!

ちなみに「オーペア」の語源はフランス語の「Au-pair」から来ているそうです。

 

オーペアとして2歳の双子の男の子のお世話をしながら、空き時間は語学学校やヨガなどでワーホリを満喫。

 

一年間のワーホリ期間中を通し、ずっと同じファミリーにお世話になり、本当の家族のような関係を築けたことは、15年以上たった今でもキラキラと輝く人生で一番の充実した時間でした。

 

海外移住した理由

ワーホリで初めて訪れたニュージーランドでは、ビザが切れるまで一年間めいっぱい楽しみました。

 

自分と向き合う時間がたっぷりあるワーホリでは、小さな手帳を肌身離さず持っていて、思いついたことを書き込むのが楽しみでした。

 

ある日カフェに座ってゆったりと手帳をよんでいるとき、ふと「この国が好きだし、結婚したら旦那さんと一緒に2~3年くらいこっちで暮らしてみるのもいいな」なんて空想にふけっていた私。

 

そんな空想はすれども、その時は彼氏なんかいなくて、一人でたっぷりワーホリを満喫するために彼氏なんて邪魔なだけだと思っていたんですよね。。。

 

ところがそのあと、友達から「日本語を習いたいという男の子がいるんだけど、会ってみない?」という話を持ち掛けられます。

 

ワーホリは楽しんでいたものの、普段英語を喋る相手は主にオーペアのファミリーだけだったし、英語上達のために友達を増やすのも悪くないなと思った私は、その「日本語を習いたい男の子」に会ってみることに。

 

初めて会ったときは自分は英語がへたくそだし、相手もとっても気を遣っていて、まったく楽しいものではなかったけど、なぜかあちらが私を気に入ってくれたようで。。。

 

それから週末ごとにその人と会うようになり、特に異性として心を惹かれていたわけではないんだけど、なぜか4回目にあった時に

 

「あれ、私、この人と結婚するかも??」

 

マンガみたいだけど、ホントにふと頭をよぎったんですよね。。。

もちろんその時は付き合ってなかったし、ぜんぜん好みのタイプでも、恋心があったわけでもありません。

 

ふと頭によぎったその「あれ、私、この人と結婚するかも?」が現実となり、あれよあれよという間に結婚、ニュージーランドに移住することになったのです。

 

ワーホリの時の空想では2~3年くらいニュージーランドに住めたらいいな、なんて思っていたのに、永住する羽目になるとは。

 

人生って何がおこるか本当に分からないですね。

 

ニュージーランドでの暮らし

2008年にニュージーランドに移住、結婚後はオーペア専門のワーホリエージェントとして、かつての自分のように夢を持ってワーホリに挑戦する女性のお手伝いをしていました。

 

2011年に長女を出産後、専業主婦となり、2014年には長男も授かりました。

 

ニュージーランドでの子育ては、初めての育児と異文化での子育ての風習になれることなど、ちょっと大変なところもありましたが、子どもたちはすくすくと育ち、自分もかなりゆったりとしたママライフを満喫できております。

 

現在二人は小学校に上がり、毎日とても楽しそうに学校に通っています。

 

日本で子育てをしたことがないので分からないのですが、自分が日本で育ってきた経験と比べると、ニュージーランドの子供たちはいい意味でも、良くない意味でも(笑)の~~~んびり育っているなぁという感じ!

 

学校では難しい勉強はほとんどしていないみたいで、宿題も全くと言ってよいほどありません。(噂では、高校に入ってからやっと勉強らしい勉強が始まるんだとか?)

 

そんな雰囲気なので、もちろん大人ものんびりした人が多く、私自身もそんな流れの中でゆるりと過ごしているなという自覚があります。

 

うくれれのプロフィールまとめ

これまでの自分の人生を大きく分けるとしたら・・・

  • 生まれてから16年間の健康優良児期
  • 膠原病を発症してから海外に行くまでの青春期
  • 海外移住してから妊娠出産・育児の繫忙期
  • 義足を使うようになってから現在までの転生期

といったところでしょうか。

 

まとめてみるとこれまでに沢山の事を経験してきたんだなと、自分のことながら感心してしまいますが、人間長く生きていれば、思いもよらないような嬉しいこと、大変なことに出くわすものですよね。

 

これからの私の人生がどのように展開していくのか、これ以上の幸せがやってくるのか、大きな試練に再度出くわすのか分かりませんが、、、。

 

何が起こったとしても、片足切断で一度なくしかけた大切な日常を、精いっぱい楽しんでいけたらと思っています。

 

このブログに興味を持ってくれた方、膠原病や義足について知りたい方のお役に立てたり、幸せなことに繋がっていけば嬉しいです。

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