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「健康な体に産んであげられなくてごめん」と言われた子の気持ち

ハロー!うくれれです。

 

鬼滅の刃にハマり始めたころ、家族みんなで「那田蜘蛛山編」を鑑賞していた時の話。

 

鬼になった累が両親を襲ってしまったとき、息を引き取る間際に母親が絞り出したセリフがとても印象に残りました。

 

そういえば自分もそんな風に言われたことがあったなと、その瞬間に意識が遠い昔へタイムスリップ。

 

ドラマみたいなセリフだけど、当事者として耳にした立場から、言われた方の子供はどんな気持ちだったのかを振り返ってみようと思います。

「健康な体に産んであげられなくてごめん」というセリフはドラマの中だけではない

 

無限列車編を劇場で観て以来、鬼滅の刃にどっぷりはまってしまった我が家。

 

ネットフリックスでアニメ1期を何度もみていますが、沢山のエピソードの中でも特に好きなのが「那田蜘蛛山編」での炭治郎と下弦の伍・累との戦闘シーン。

 

家族の絆に執拗なほどこだわる鬼の累は、敵対する炭治郎と鬼になってしまった妹の禰豆子とのゆるぎない絆を目の当たりにします。

 

自分が求め続けていた本物の絆を持つ二人を前にし羨望と嫉妬で荒れ狂う累は、禰豆子を奪えばすべてが手に入ると思い躍起になるものの、本物の家族愛に打ち勝つことはできず、戦いに負けてしまいました。

 

累の死に際に現れた走馬灯の中で、人間だったころの記憶がよみがえるのですが、彼は生まれつき体が弱く、常に病床に伏していました。

 

そこへ現れた鬼の大将・鬼舞辻無惨から、体を強くすることと引き換えに鬼になるように誘われます。

 

条件を受け入れ鬼になった累が生きていくためには人間を喰らうことが必須となります。

 

息子が人をあやめてしまう瞬間を目撃した累の両親は哀しみ嘆き、累と共に自害しようとしますが、鬼になった累は両親に牙を向け殺してしまうのです。

 

累の母親が息を引き取る間際に、こんな印象的な言葉をのこします。

 

「丈夫な体に産んであげられなくてごめんね・・・」

 

鬼滅の刃を観たことがある人は数ある名シーンの中でも特に印象に残るストーリーではないかなと。

 

「丈夫な体に産んであげられなくてごめんね」という累の母の姿や、その言葉を口に出した背景などを思い浮かべ、涙なくしてはみられないシーンですよね。

(知らない人はごめんなさい)

 

そこで健康優良児なら「かわいそうだなぁ」と思って終わりかもしれませんが、私はちょいと違ったとらえ方をしてしまった。

 

累の母親のセリフ、実生活で聞いたことあるぞと。

 

「丈夫な体に産んであげられなくてごめんね」はドラマや物語の中だけではなく、現実にも多くの母親が口に出している言葉なんですね。

 

なんだか懐かしいなぁと自分の記憶をたどっていくと、これまでに最低2回は言われている。

 

当時の私はどんな気持ちでその言葉を受け取っていたのだろうと回顧してみました。

 

「健康な体に産んであげられなくてごめん」と言われた子の気持ちは意外と○○!

健康な体に産んであげられなくてごめんと言われた気持ちはフラット

 

私が膠原病(全身性エリテマトーデス)を発症したのは16歳の春で、高校2年生に進級したばかりの頃でした。

 

当時はいきなり目の前に現れた「難病」と、「一生治らない」という状況に、自分がドラマの中の主人公になったような気持ちで、自分の事なのにそうじゃないみたいな感覚で過ごしていたような気がします。

 

病気が発覚したときに母親の泣く姿こそ目撃したものの、「丈夫な体に産んであげられなくてごめんね」という言葉を耳にした記憶はありません。

 

母はおそらく自分の事を責めたのだろうと思いますが、直接言葉に出さないようにこらえていたのかもしれません。

 

初めて母親からそのセリフを言われたのは、20代の頃でした。

 

病気があるからと、青春時代からなんとなく自分を制限しながら生きてきた感じがあるのですが、このままドカンと何もせずに人生終わっていいのかと考えたことがありました。

 

そこで、病気だけど、海外生活を体験してみたい!という夢が生まれたのです。

 

最初は親も「あんたは病気があるから、危ない」といって私の海外への挑戦を真っ向から反対してきました。

 

反対されることは100%想定内ですので、本当に私が海外に行ってみたいという「本気度」を両親に分かってもらうしかないなと。

 

ネット社会ではなかった当時、わざわざ福岡まで足を運んで留学エージェントを片っ端から回り、一番信頼できそうな会社を選んでパンフレットを見せたり、現地での生活の様子などを分かってもらおうと必死でした。

 

どうしても首を縦に振らない両親に手紙まで書いて、どれだけ夢を叶えたいかを伝え、一年間ほどかけてやっと2人を説得できたのです。

 

うくちゃん
もう20代の人の話だよね?
田舎の人だし、娘は病気だし、心配だったんだよ。
れれくん

 

しかし、留学エージェントに申し込み、料金を振り込んだ頃に体調をガクッとこわしてしまいます。

 

膠原病の検査数値などが以前に比べ悪くなっていて、再燃しかけているという診断を下されました。

 

通っていたリウマチ科の病院のベッドの上で、点滴に繋がれた腕をみながら「海外はあきらめる」と涙を流したとき、隣にいた母も涙を流しながら「健康な体に産んであげられなくてごめん」と。

 

長い間かけてやっと実現しようとした夢を前に、病気のせいで諦めなくてはならなかった娘がふがいなかったのでしょうか。

 

そして2回目にこの言葉を聞いたのは、足を切断した後に両親がニュージーランドまでやってきたとき。

 

2人が滞在していたのはわずか一週間ほどだったのですが、毎日毎日泣きくれる娘を見るのは本当につらかったと思います。

 

 

母の膝の上に顔をうずめ、泣きすぎてぼんやりしていた時に「健康な体に産んであげられなくてごめん」と言われました。

 

「お母さんが代わってあげられたらいいになぁ。元気に産んであげられたらよかったになぁ。」と。

 

私はすでに二人の子を持つ母親で、私の母は孫を持つおばあちゃんだけど、どんなに我が子が大きくなっても健康に産むことができなかったと言って謝るんだなぁって。

 

母親って、いつまでたっても母親なんですね。

 

それを聞いた私はどんな気持ちだったのか?

 

率直に言うと、母親が健康に産んでくれなかったせいで自分が病気で苦しんでいるなんてこれっぽっちも思いませんでした。

 

ぽか~ん・・・という感じですよ。

何をおっしゃるのか?と。

 

病気を持つ子供にとっては病気なのが自分の常識だし、ぜんぜんおかしいことではない。

 

具合が悪くなれば乗り越えるのは自分というのは当たり前だし、母親にどうにかしろ!なんて恨み節は頭の片隅にもありませんでした。

 

逆に自分の病気のせいで母を苦しめているという自責の念もなかったし、「病気になっちゃったんだからしょうがないじゃん、誰のせいでもない。」というフラットな気持ちでしたね。

 

今回この記事を書く上でいろんな人のブログやツイートを読んでみたのですが、誰ひとり「健康に産んでくれなかった母が憎い」なんて意見はありませんでした。

 

中には「自分は欠陥品なのか?」とか「自分の存在を否定された気がした」と感じた人もいるそうですが、その根底には、お母さんにそれを言わせてしまって申し訳ないという気持ちがあるんだとおもう。

 

自分をこの世に送り出してくれた大切な人が、自分の病気を作った人だなんて滅多に思わないんじゃないかな。

 

子供はみんなお母さんのことが大好き。自分が病気になったら誰よりも心配し、お世話してくれる存在です。

 

だからお母さんが自分を責める必要は全くないのだ。というのが当事者としての感想でした。

 

「健康な体に産んであげられなくてごめん」と言われた子の気持ちのまとめ

大人になり、子を持つ身になれば、自分の両親がどれだけ大切に私達を育ててきてくれたのかが身にしみてわかるようになります。

 

「健康な体に産んであげられなくてごめん」という言葉を発した母の立場に自分を置き換えると、めちゃくちゃ辛かっただろうなって。

 

病気になったのは誰のせいでもないけど、きちんとコントロールできるかどうかは私の責任。

 

もう立派すぎる大人なんだから、これ以上心配かけないようにしなきゃね。。。

 

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