入院当日と退院日の化粧
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外見を気にするのは元気な証拠!機能してくれるだけで十分な体に感謝といたわりを

ハロー!うくれれです。

 

私は10代の頃から膠原病(全身性エリテマトーデス)を患っていますが、病気があってもできるだけ綺麗にしていたいと思うし、病気だからといってオシャレを諦めることはなかった人生を送ってきたと思います。

 

しかし4年前に膠原病が再燃し、右足を切断したときは本当に生きるのに必死で、現実に起こっていることに自分を順応させるだけで精一杯で、見た目がどうこうというのは二の次どころか、百の次くらいまで優先順位が下がっていました。

 

今元気になって、元通りに身だしなみをきちんと整えた毎日を送っていますが、それがどれだけ幸せなことかについて綴っていきたいと思います。

窮地に陥った人間はかわいいやオシャレがどうでもよくなる

入院

 

10代の頃に膠原病(全身性エリテマトーデス)を発病し、4か月間の入院生活を送っていました。

 

当時高校生でお年頃だった私は、病院から支給されるパジャマを着るのがとっても嫌で、自宅からお気に入りのTシャツを持ち込んでいました。

 

誰に会うわけでもないですが、髪の毛もきちんと整えるし、友達がお見舞いに来てくれる日は、入院患者なりに精いっぱいのおしゃれをして迎えていた思い出があります。

 

パルス治療やステロイドの大量投与による副作用でムーンフェイスになり、顔がパンパンなのを友達にみせるのがはずかしくて、鏡の前で涙を流したこともありました。

 

病気を治そうと闘っているかたわら、やっぱりかわいくいたいという気持ちも大きかったのでしょうね。

 

膠原病で入院生活を送ることは二度とないと思っていたのですが、人生はいろいろな出来事を私たちに運んでくるもので、4年前に病気が再燃し、2度目の長期入院を余儀なくされました。

 

2度目の入院は、それはそれは壮絶な体験で、一日ごとにどんどん悪いところが発見され、坂道を転がるように体調が悪化し、体力も気力もどんどん弱くなっていきました。

 

病院に運ばれてから2週間も3週間も、治療を受けているのに一向に体が良くなる気配はなく、最終的に右足を切断。

不思議なことに、切断と同時にすべてが快方へと向かい始めたのです。

 

体は快方へ向かい始めたものの、足を失ってしまったというショックと絶望感で、精神はいっそうボロボロに。

 

なんとか人間らしくいようと自分を奮い立たせ、むりやり笑顔を作ったりもしましたが、ふとした瞬間に一寸先も見えないような漆黒の世界へ連れ戻されてしまう。

 

そんな日々を送っていたので、眉毛がないとか、服装がかわいくないとか、髪がぼさぼさとか、頭によぎることは全くありませんでした。

 

寝起きに不意打ちで学生を山ほど連れたお医者さんが回診に来ても、寝ぼけ顔を動物園のオリの中の動物と同じくらいじろじろ見られても、な~んにも気にしなかった。

 

沢山の人が集まるリハビリ室に間違えてワンピースを着ていって、筋トレ中にパンツまる見えでも全然気にならなかった。

 

ブラを着けることすら頭になくて、自分が女性性を超越した「生物」として生存していた感じでした。

 

だって、絶望と不安だらけでそれどころじゃなかったもん。

 

退院し、しびれた手足が少しづつ動かせるようになった時に、やっとコンタクトレンズを使用できるようになり、眉毛も書けるようになった。

 

義足ができ、自分でできることが増えてきたころにはだんだんと外見に気を遣う自分が戻ってきました。

 

人生で体験した2回の長期入院を比較してみると、最初の入院の時はまだ全然余裕だったんだなって。

 

10代で大きな病気になり、若さゆえの将来への不安もあったんだけど、まだおしゃれしようっていう気はあったからね。

 

窮地に陥った人間は、生存する事に全力を注ぐため、いろんなことがどうでもよくなるというのが身にしみてわかった体験でした。

 

外見を気にするのは元気な証拠!機能する体に感謝といたわりを

機能する体に感謝

 

今では以前と同じように、お化粧をしたり髪を巻いたり、おしゃれをして出かけるのを楽しめるようになりました。

 

足をなくしたときの絶望的な世界を生きていた時の自分と比べると、今の私はすごく元気になったんだなと感じています。

 

女性にとって、(男性でも)身だしなみを整えるのはとても楽しいですし、キレイにすることで自信に繋がったり、その日一日を楽しく過ごすことができますよね。

 

自分の気持ちをあげるオシャレやお化粧は精神的にもとてもいいことだと思います。

 

だけど最近は、SNSなどの影響で、自分の外見や容姿を異常なくらい気にする人が増えている傾向にありますよね。

 

スマホのカメラもすごく精度が良いうえ、顔やスタイルを加工・修正できるアプリもたくさんあるので、SNSにありのままの写真を投稿している人ってかなり少ないんじゃないかなぁ。

 

(うちの旦那はおじさんだけど、インスタの写真とか、ちゃっかり加工している。。。)

 

修正や加工で理想的な自分になるのはおもしろいですが、行き過ぎると本来の自分の姿を嫌いになっちゃう人が増えそうですよね。

 

足が太くていやだとか、目が細くていやだとか、、、そんな風に思うのは仕方ないのかもしれませんが、そこで私はひとこと言っておきたい。

 

外見を気にするのは元気な証拠だと。

 

手足がきちんと体にくっついていて、目が見えて、においが分かって、味がわかって、暑さや寒さも感知してくれること。

 

意識しなくても24時間休まず動いてくれる心臓、肺、腎臓、肝臓、腸などの臓器があること。

 

どんなに自分が不細工だと思っていても、おっぱいが小さくても、くびれがなくても、自分のためにきちんと機能してくれる体に感謝といたわりの気持ち捧げようではないかと。

 

だから、外見を気にする余裕があるって、とっても幸せなんだよと。

 

どんなに太く短い足でも、歩いて走ってジャンプして、きちんと機能してくれている事が一番大切なんだよと。

 

機能してくれるだけでありがたい、それを心の底から分かっているから、私は朝起きた瞬間から目が見えること、手足が動くこと、耳が聞こえて喋れることにめちゃくちゃ幸せを感じます。

 

そんな調子なので、鏡に向かって眉毛を描いている時とか、髪を巻いている時とか、心にじんわりと

 

「あぁ、私、今すごく元気なんだなぁ~~」って、喜びがこみ上げてくるんです。

 

自分の外見が気に入らなくていやなところをかくすようにお化粧をするより、そこにあることに感謝しながら綺麗にしてあげる方が仕上がりもよくなりそうですよね。

 

もし外見を気にしすぎてメンタルをやられているという人がこれを読んだとしたら、ぜひ自分の持っている沢山の宝物に気づいて幸せを感じてほしいなと思いました。

 

外見を気にするのは元気な証拠!のまとめ

私は子供が二人いて、上の子は女の子で現在10歳。

 

あと数年でティーンエージャーになるのですが、大人に近づくにつれ外見をもっと気にするようになると思います。

 

オシャレを楽しむのは大いに賛成ですが、自分の生まれ持った容姿や体型を好きになって、それを活かして綺麗になっていってほしいなと思っています。

 

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