ハロー!うくれれです。
16歳の時に膠原病(全身性エリテマトーデス)を発症した私は、20代で結婚して海外に移住、その後二人の大切な子供たちを授かりました。
膠原病は私のように若い時に発病することが多く、女性が大半ということもあり、妊娠出産は大きな心配事となります。
膠原病の中でも全身性エリテマトーデスは、難病申請をしている人が日本中で約6万人、医療機関を受診していない人も含めると、推定12万人ほどの患者数だそう。
そんな沢山の患者さん達の参考になればと、妊娠出産体験をまとめてみました。
Contents
膠原病(全身性エリテマトーデス)の妊娠後期の過ごし方と病状の変化
膠原病(全身性エリテマトーデス)を16歳で発症しましたが、病気をうまくコントロールしながら過ごす中、運命の人と出会い結婚。
結婚生活も落ち着いたころ、幸せなことに第一子をお腹の中に迎えることができました。
膠原病の患者にとって、子どもを授かる=健康な人に比べハイリスクで、無事出産するまでいつも以上に体調に気遣うことが重要になります。
妊娠が分かってから初期、中期を無事に過ごし、とうとう妊娠後期と言われる8か月目を迎えました。
初期と中期の様子はこちら
妊娠後期になると、お腹はますます大きくなり、立ち上がるだけでも「よっこらしょ」と気合を入れて動かなくてはいけないくらい、赤ちゃんも重たくなります。
私は膠原病という持病を抱えながら妊娠生活を送りましたが、出産が近づく後期は健康な人でもいろいろな体調の変化や心配事が増えてきますよね。
妊娠後期によくある特徴や体の変化と言えば、、、
- お腹が体を圧迫し血液循環が悪くなる
- 下肢などのむくみが起こりやすい
- お腹の張りを感じやすくなる
- 胃が押し上げられムカムカする
- 心臓や肺に負担がかかることによる息切れ
- 子宮の圧迫による尿漏れや便秘
- 背中や腰の痛み
- 疲れやすさ など
これだけ体に負担をかけて、命がけでお腹の赤ちゃんを育てている(育てていた)全女性に称賛をおくりたい!
ハイリスク出産ということで妊娠初期から無理せずに過ごしてきたおかげか、妊娠が膠原病に与えた影響はほとんどなかった私でも、さすがに胃のムカムカや腰の痛みなどが出てきます。
とは言え、疲れやすさはなく体調はバッチリだったので、妊娠39週までは語学学校に毎日通い、家では掃除や料理など普段通りに過ごすことができていました。
お産を楽にするために体力づくりも必要と思い、30分程度のゆるい散歩にもよく出かけました。
初めての出産ということで、予定日の10日前から両親がニュージーランド入り。
大きなおなかを抱えて、家から遠くない観光地などに両親を連れていくこともできました。
赤ちゃんの成長も順調で、頭の位置も下向き、予定日にむけて徐々に下にさがってきてくれ、母子ともに着実に出産にむけて動いていました。
妊娠前から飲んでいたお薬は、オメプラゾールという胃薬を中止した以外はすべて変わることなく、なんというか、めちゃくちゃ順調です。
妊娠後期に入ると、産科の検診も週一になります。
産科の先生も、赤ちゃんの様子も良いし、普通分娩で大丈夫でしょうということで、出産予定日までのんびりと過ごしてね、という指導がされただけでした。
本当に膠原病でハイリスクなのかな?と思うくらい、とっても平和な妊娠期間を過ごせたことは今考えても一番ありがたいことだったと思っています。
膠原病で出産に特別な処置は?陣痛から分娩までの流れと体調について
出産予定日当日を迎えましたが、いつも通り私は元気だし、赤ちゃんもよく動いているし、生まれてくる気配は全く感じられませんでした。
日本から来た両親も、なかなか出てくる気配のない孫に待ちくたびれた様子。
母は出産後もこちらに残りますが、父は予定日の4日後には日本へ帰国しなければなりません。
初孫の顔を見に来たのに、見らずに帰るのかとあきらめかけた予定日の二日後の朝、トイレに行くと「おしるし」が出ている!
ついに赤ちゃんが生まれてくるんだね~!私も、旦那も、両親もワクワクが止まりません。
お昼ごろには不規則な陣痛が始まり、夜になるにつれて規則的に痛みがくるようになりました。
もうすぐ生まれるなら、病院に連絡しなくちゃと思っていたところ、夜中には陣痛が引いてしまいます。
いったい我が子はいつ出てきてくれるつもりなの?早くしないとおじいちゃん帰っちゃうよ~~!
早く出ておいでと話しかけ続けていると、次の日の昼頃にまた陣痛が始まった!
今回こそは本陣痛だったようで、だんだんと強く、間隔が短くなる陣痛に耐える時間が長い!
夕方ごろに参加の先生に電話すると、そろそろ病院に来て下さいとのこと。
痛みを我慢しながらよろよろと車に乗り込み、病院についてすぐに分娩室へと移動しました。
分娩室では血圧計や、赤ちゃんの心音を聞く機会をお腹につけられたりしましたが、その他に膠原病だからと言って特別な処置などがされることはありませんでした。
陣痛が強くなり、辛さが増してきたところで、助産師さんが笑気ガスを吸わせてくれましたが、全く効果なし。
あまりにも辛いので、痛みを感じにくくする注射(オピオイド)を打ってもらうことに。
注射を打ったらあら不思議、なんだかほわほわしてきて、痛みが三分の一くらいになり、かなり楽になりした。
おかげで落ち着きを取り戻すことができ、陣痛の波に呼吸を合わせること数時間。
痛みと同時に赤ちゃんが出てこようとグングン出口に向かっているのを感じられるようになりました。
もう我慢できん!と思い、産科の先生に「まだうんじゃダメなんですかぁ~~!!」と訴えたところ、子宮口をチェックした後の一言。。。
「Oh!もう全開じゃないか!OK!You can push now!」
もう生まれそうで我慢できない感覚と、痛みをこらえる限界で一生懸命な中、英語で「いきむ」ことを「push(プッシュ)」というのね!という面白い発見におどろきつつ。。。
先生の掛け声に合わせて赤ちゃんを思い切り外に押し出します!
頭のてっぺんが見え始め、出たり入ったりを繰り返したのち、いっきにずるりと生まれてきた娘。
生まれてすぐに産声をあげて元気いっぱい、体重2845グラムで健康な赤ちゃんでした。
頭のどこかで気になっていた、膠原病のお薬の影響なども赤ちゃんには見られず、一安心。(11歳になった今も健康優良児としてはつらつと成長し続けています。)
産んだ私はというと、赤ちゃんに会えたよろこびと、陣痛が終わった嬉しさ、無事に生まれてきてくれた娘への感謝と安心の気持ちでいっぱい!
膠原病だからと言って分娩後の特別な処置はなく、普通のママ達と同じ様に赤ちゃんとの幸せなひと時を過ごせたのです。
日本からはるばるやってきた父も、しっかりと初孫を抱くことができ、翌朝の早い便で帰っていきました。
【膠原病の妊娠・出産体験記】1人目後期から出産まとめ
膠原病(全身性エリテマトーデス)という難病を抱えての1人目の出産を振り返ってみましたが、今考えてもかなり順調な妊娠・出産だったなと思います。
病気がきちんとコントロールされていたからこそ、我が子というかけがえのない存在を胸に抱くことができたのだと思うと、支えてくれた家族やお医者さん、沢山の人に感謝の気持ちが湧いてきますね。
そして、病気があるのにちゃんと赤ちゃんを育て、出産できたこと、偉業を成し遂げた自分自身にも偉かったねと言ってあげたくなりました。