ハロー!うくれれです。
当ブログ「Hello Ukulele 」で義足や膠原病、海外生活などで体験してきたことをシェアし始めたのは2022年の2月からですが、実はそのだいぶ前から「いつかはこの辛かったことを、文章にしてシェアしていきたい」と考えていました。
ブログのドメインなんて2019年末から用意していたのに、長い期間寝かせ続け、やっとのことで最初の記事を投稿するに至ったのです。
この記事では、なぜ義足や膠原病の体験をシェアしようと考えたのか、なぜ始めるまでに時間がかかってしまったのか、その期間中に考えていたことや、実際に発信することで心に起こった変化などを綴っていこうかなと思っています。
Contents
義足・膠原病の体験談をシェアしようと思ったきっかけ&行動にいたるまで
最近ではSNSやYouTubeなどの普及により、今まで簡単に知ることのできなかったいろいろな人の体験をみることができるようになりましたね。
本当に便利な世の中になったなぁと思うのですが、私が足を失ったときも、ネット上でみられる様々な人の体験談がとても助けになりました。
足を切断した人なんて、自分の周りにそうそう存在するわけではないですし、脚がなくなったらどうなるのか、その後の暮らしや予後は大丈夫なのかなど、脚がなくなるだけでもキツイのに、将来の様々な生活が不安だらけで仕方なかった。
そんな時に、自分と同じ体験をして、それを発信してくれている人のお話は、本当に救いになりました。
これから始まってしまう未知の世界を生きてきた先人の知恵というか、参考になることがたくさんあって、ありとあらゆる人のSNSを覗きまくっていましたね。
グーグルでもいろんなキーワードで検索をかけて。。。
「義足 ブログ」
「義足 子育て」
「義足 女性」
「義足 オシャレ」
「義足 本物に見える」
「義足 歩けるまで 期間」
「義足 運転」
こんなキーワードで引っ掛かる個人ブログは全部読み漁った覚えがあります。
どんな小さなことでもいいから、義足での生活に関することが知りたかった。
脚を失って義足で生活するって、大げさじゃなく、自分にとっては全く新しい別人の人生を、一から歩み始めることと一緒でしたから。
ネット上の義足体験談を読み漁ってはいたものの、自分から何かを発信するなんて心の片隅にもありませんでした。
脚がなくなったばかりの自分は劣等感のかたまりで、自分は世界で一番価値のない小さな生き物だと思ってましたからね。
そんな価値のない人間の体験談を誰が知りたいんだと。
誰にも今の自分の姿を知られたくない、これまでに出会ってきた人たちの記憶の中でいつまでも「生まれ持った脚が2本ある、今までと同じ私」でいたかった。
脚がなくなった事を知らない友人や知人にとっては、私はこれまでと同じ人間だから、絶対に義足の事を知られたくないと思っていました。
だから、本当に近くにいてくれる家族や友達にしか、脚を失ったことを言えなかったし、今でも伝えていない人は沢山います。
(風の噂で知っている人はいると思うけど。)
そんな暗~~い日々を送っていたある日、日本に住む大好きな人にメッセージを送った時のこと。
彼女とは「今度の一時帰国の時に会おうね」と約束していたんだけど、脚がなくなってしまい、里帰りどころじゃなくなったということを報告しました。
その時、彼女とのやりとりでかけてもらった言葉がずっと心の片隅に残っていて。。。
「今の葛藤は、いつか必ずうくれれちゃんの『宝』になるし、誰かの『希望』にもなると確信してるわ。
そして、そういううくれれちゃんの姿はわたしにとっても大きな『勇気』になるから、ぜひメッセージちょうだいね。
そして時期が来たら、自分の体験をぜひ多くの人に配信してほしいわ。」
この言葉を聞くまでは、自分が住んでいる暗闇の世界での体験が、いつか誰かの役に立つだなんてこれっぽっちも考えていなかった私。
こんな私でも、誰かの役に立つことができる??
どん底で、何の価値もない存在だと思っていた自分が、「誰かの役に立てる日が来ると確信している」と言われたことで、とっても心がすくわれたんですよね。
人間の存在価値って人によって様々だけど、やっぱり誰かの役に立てているって自分にとっては大きなポイントで。
脚がなくなって、歩けないし、病院でお世話になりっぱなし、子供の面倒もみれないし、かわいくないし、もう本当に自分のどこに価値があるのか分からない状態の時にかけられたこの言葉が、ず~っと心に残り続けていました。
いつかやろうと思っていたことを、このタイミングで始めたのはなぜか。
それは、単純に、「今すごく幸せだなと感じる日々を送っているから」としか言いようがない。
幸せというのは、純粋に私個人の人生を生きてきて、今気持ちがとても落ち着いてすごく幸せだと思って生活しているということです。
足がなくなったことを認めているわけではありません。
義足でもスポーツなどの分野で成功を収めている人は、「足がなくならなければ今の人生はない、足がなくなったことに感謝すらしている」という人もたくさんいますが、私はまだそんな境地には至ってません。
そんな日が来ればいいとも思っていないし、来たならそれでもいいと思っているし、義足の事は関係なしに、今幸せなんです。
年を重ねて余裕ができたという言い方もできるかもしれません。
誰かを幸せにしたいなら、まず自分を幸せにしなさいという言葉をよく聞きますが、私自身にその時期がやっと訪れたということでしょう。
ちなみに、このブログを始めるきっかけの言葉をくれた日本に住む大好きな人というのは、心理学講師をしている古屋サマンサさんという方。
何年も前にネットで知ってファンになったのだけど、彼女もまた自分の辛かったときの経験を惜しげもなくさらけ出し、沢山の女性に勇気と希望を与えてくれている人です。
古屋サマンサさんのブログはこちら。多くの女性の胸に突き刺さると思います。
つらい体験をシェアすることは他人ではなく自分を一番癒してくれる
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脚を失って義足で生活しているという体験をシェアする前に感じていたことは、振り返ることへの恐怖でした。
あれからもうすぐ丸4年経つのですが、あまりにも辛く重たい経験だったので、記憶にフタをして、無かったことにしていることが多い。
その「無かったこと」にしていた記憶を掘り起こすのがすごく怖かったのです。
暗い記憶の中には、自責の念や後悔や恨みがいっぱい詰まっていて、蓋を開けてしまうことで、やっと取り戻した自分がまた辛くなっちゃうんじゃないかと思っていました。
でも実は違ったんですね。
このブログを開設する前、手始めにインスタグラムでやってみよう!と、アカウントを作って日々感じていることを発信し始めました。
義足を使うようになってから、自分がどのくらい上手に歩けるようになったかとか、普通の日常を取り戻せたこととか、義足だけど自転車に乗れたこと、子供を抱っこして歩けたこと、、、
本当にいろいろ、振り返れば、よくここまで頑張ってきたねって。
苦しくてもがいているだけだと思っていたけど、千里の道を一歩づつ、泣きながら、沢山の人たちに助けられ、確実に歩んできていたんだなって、思うことができたんです。
そうしていくうちに、少しずつ自分を褒めてあげられるようになって、自分を認められるようになった。
インスタを始めてしばらくして、ある人のこんな言葉を目にしました。
When you stand and share your story in an empowering way , your story will heal you and your story will heal somebody else.
(あなたが力強く立ち上がり、あなたの物語をシェアすることで、その物語はあなたを癒し、他の誰かも癒すことになるだろう)
これをみた私は、あぁまさにその通りなんだなと。
自分の体験をシェアすることって、実は自分自身を癒しているんだってわかったんですよね。
だから、このブログで発信することはまずは自分のため、そしてどこかで義足や膠原病の体験談を必要としている誰かの心に少しでも届けば、苦しかった経験が『宝』へと姿を変えていくのではないかと思っています。
もしこのブログを読んでいる人で、いつか辛かったことをシェアしたいと思っている人がいれば、時期がきたら是非、一歩踏み出してほしいとも思っています。
義足・膠原病の体験談をシェアするということのまとめ
今回はこのブログを始めることになった経緯をまとめてみたんですけど、闘病記やつらい体験をシェアする人って結構いますが、中には闘病の渦中ですでに発信を始める人や、足がなくなって落ち込んだけど3日でわれを取り戻したなんて強者がたくさんいてビックリ。
私は心の回復がめちゃくちゃ遅くて時間がかかった方だと思うので、そんな人たちを見ているときっと心が強くて、柔軟な人たちなんだなって、少し羨ましく思っちゃいます。
そこで「ほかの人たちは立ち直りが早いのに、自分はいつまでもグジグジ情けない奴だ」と思っちゃうと本末転倒なので、自分は自分のペースで発信していくのが一番!と思いながら、ゆっくりとやっていこうと思っています。