義足の人が見る夢の内容
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義足の人が見る夢の内容は?切断直後から5年目までの夢のようすを振り返る

ハロー!うくれれです。

 

2018年に右足を切断し、現在は義足を使って生活していますが、眠っているときは普通に夢を見ています。

 

手足を切断するなど体の一部を失ってしまった人たちって、どんな夢を見ているのか気になるでしょう?

 

夢の中の登場人物は本人ですから、夢の中でも義足を使っているのか?それとも生まれもった足がある状態で登場するのか。

 

そこで今回は、足を切断して義足を使っている人が見る夢はどんな感じなのかをご紹介してみたいと思います。

 

義足の人が見る夢の内容は?夢の中では足がある・ない・どっち?

義足の人の夢はどんなの

朝目覚めたとき、眠っている間に見た夢を覚えていることってありますよね。

 

とっても楽しくて幸せな夢をみていた朝は、なんだかよい気分で目覚めることができますし、逆に怖い夢からハッと目を覚まして「夢でよかったぁ~!」と安心することも。

 

実際の生活にあり得ないような不思議な夢を見て、起きた後も現実のように感じたりと、夢を観察するのって結構面白いですよね。

 

なぜ人間は夢を見るのでしょう?

 

夢を見る理由についてはいろいろと言われているようですが、起きている間に起こった出来事を眠っている間に整理するためだという説が有力だそうです。

 

確かに、翌日に待ち構えているイベントで不安なときに遅刻する夢を見たり、寝る前に読んだマンガのストーリーが夢に出てきたりと、現実世界が結びついた夢が多いように感じます。

 

私は英語圏の国に住んでいて、夢は英語で見るの?と聞かれることがあるのですが、実はほとんどが日本語の夢(笑)

 

長い間住んでいても英語が体の芯まで浸透しきれていないという真実を反映していますね。。。

 

英語は身につけたスキルですが、身体的な変化は夢に反映されるのでしょうか?

 

私は足を切断してから今の時点で5年経ちますが、夢の中の自分が義足をつけているとしっかり分るようになったのは、実はここ最近かもしれない。

 

夢の中でも義足をつけているということは、潜在意識でも「自分は足がない」ということを認めてしまったのでしょうね。

 

ちょっと悲しいというか、寂しいというか。

 

足がないのは現実なのですが、心の片隅では「今の姿は仮の姿」という気持ちが根づいていて、いまだに足があったころに戻れるような勘違いをしている一面もあるので。

 

どうしたって生まれ持った足への未練は断ち切られませんね。

 

義足になってみた夢を振り返ってみた~切断直後から現在まで~

切断後から義足までの夢

 

足を切断した直後から現在までの夢を振り返ってみると、心が傷ついた状態から義足が当たり前になるまでの変化がよく見て取れます。

 

切断直後の夢は本当に切なくて、涙なくして語れない内容ですよ、ホントに。

 

切断後、義足を作る前の歩けなかった頃によく見た夢は、私はまだ足を切断していなくて、病院のベッドの上で外科の先生と話している場面でした。

 

足は残っているんだけど、その形ははっきりしていなくて、先生に「もう切断しないことになりました」と言われる夢です。

 

私はとても嬉しくて、あぁよかった、もう足をなくさずに今まで通り歩いたり走ったりできるんだと、涙をながして喜ぶんです。

 

だけど夢なので、目が覚めれば変わり果てた右足が目に入り、「そうか、あれは夢か」と落胆するパターン。

 

または、足首から下は切断されているんだけど、なぜか普通に走り回れる夢で、切断されているのに「切断しなくていいんだ、よかった!」と安心する夢など。

 

足を切断したばかりだったので、現実を受け入れることができず、夢の中で帳尻を合わせようと頑張っていたのかもしれません。

 

あの頃はよく夜中にパニックになって、息ができずに苦しくて飛び起きることが多かったな。

 

電気をつけてもまだ心臓がバクバクして、目の前がくらくらして、このまま息絶えてしまうのではないかという恐怖が大きかったです。

 

義足を使うようになってからしばらくは、夢の中で生まれたままの足でいるパターンと、義足をつけているパターン、どちらもみるようになりました。

 

しかし、どちらの夢も足の形ははっきりしていなくて、生足か義足かどうかは頭で認識しているという、奇妙な夢です。

 

夢の中の自分は自由に歩いたり走ったりできて、「なんだ、義足でも走れるじゃん!」と、軽やかな体を楽しんでいる夢が多かったですね。

 

自分の右足はもうないということが、無意識の領域に徐々に浸透しているけれど、動きは足があったときのままという感じでした。

 

不思議なのが、足は切断したのだけど、足がないから歩けないと苦労する夢が一度もなかったこと。

 

夢の中で一所懸命、明るい未来を目指そうと頑張っていたのかもしれないですね。

 

では、義足での生活に慣れてほとんど困ることがなくなった現在はどんな夢を見ているのか。

 

最近やっと、夢の中で義足を着ける動作をしている自分がいました。

 

着けている義足も、自分が愛用しているものと同じ義足です。

 

動き回っている自分の姿は、義足を装着した右足がクリアに映像化されています。

 

夢の中の義足をつけた私はとても動きが機敏で、走ったりジャンプしたり、義足が生まれ持った足のように自由に動きます。

 

そのとき必ず「走れる、走れる!」と、夢の中で喜んでるんですよね。

 

こんなに走れる夢を見るって、私は心の底で現実でも走りたいと思っているんだろうなぁ。

 

実は義足になってこのかた一度も走ったことはないんです。

 

走ったら義足がずれて痛くなりそうで嫌なのと、左足がまだ少し弱いこと、薬の副作用で骨粗しょう症になっていて、転ぶのが怖いという理由で走れません。

 

もし夢の中のように颯爽と走ることができたら、どんなに気持ちいいでしょうね。

 

もう5年も経つことだし、小走りくらいを目標にして、ぼちぼち走る練習を初めてもよいかもしれないですね。

 

義足の夢にはどんな意味がある?夢占いの診断

義足の夢占い

 

ところで、「義足 夢」というキーワードで検索してみると、夢占いのサイトがずらりと出てきます。

 

義足や義手、四肢切断の夢を見る人がいるとは思っていませんでしたが、結構見られているようですね。

 

ちょっと興味がわいたので、義足の夢にどんな意味があるのか調べてみました。

 

【義足になる夢の意味】

夢の中で、足が印象的な場合は、「人生の土台」に関する夢だと考えることができます。

人生の土台は人それぞれですが、夢や目標という人もいれば、仕事や趣味という人もいるでしょう。

彼氏や彼女との時間が何よりも大切という場合は、恋人が人生の土台になるかもしれません。

一方で、義足は、足を失った人が、足の代わりに付ける、人工的な足を意味します。

これを踏まえて「義足になる夢」は、足の代わりに義足を付けるように、人生の土台を失った人が、新しい人生の土台を手に入れるという暗示と考えることができます。

一度は失ってしまった人生における大切な物事の代わりに、新しい何かを手に入れられるという吉兆と考えることができます。

出典:こまゆめ

 

足が印象に残る夢は「人生の土台」に関する夢なんですって。

 

義足の場合は、人生の土台を失った人が新しい人生の土台を手に入れる暗示だそうで、いい感じじゃないですか?

 

さらに調べていくと、こんな解説が。

「義足になる夢」で、義足が使いやすく、以前の足のようだと感じられる場合は、新しい人生の土台となる人や活動が、しっくりくるというサインと考えることができます。

この夢を見た人は、以前のように、楽しい毎日を送れるのではないでしょうか。

例えば、再就職をして働き始めているという人は、この仕事が自分自身にしっくりくると感じられそうです。

 

義足が使いやすく以前の足のようだと感じる場合は新しい人生の土台がしっくりくるサイン、とあります。

 

私は夢の中で義足を着けていますが、毎回軽やかに跳んだり走ったりできているぞ。

 

ということは、これからの人生いいことがたくさん待っているのね!

 

足がある人が見る義足の夢と、義足を使っている人が見る義足の夢ではちょっと意味が変わるかもしれないけど、よい夢だと言うのならありがたく受けとっておこうっと!

 

義足の人が見る夢のまとめ

足を切断してしばらくは、夢から覚めて現実に引き戻されるときの落胆がつらかったですね。

 

すごく一生懸命、夢の中でさえ過去に戻って人生を変えようと努力していたのだと思います。

 

そのころの自分を想うと切なくて、本当に大変だったね、と優しく抱きしめてあげたいです。

 

もう夢と現実のギャップに涙することはないけれど、夢占いでは義足の夢は吉夢だと言うし、前向きにやっていこうと思うのでした。

 

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