高校生で膠原病(全身性エリテマトーデス)になったブログ
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膠原病

膠原病(SLE)を高校生が発症したら?症状の始まりから入院までの学校生活

ハロー!うくれれです。

 

自分の病気をテーマにしたブログを書いていると、今まで以上に膠原病(全身性エリテマトーデス)についての知識が増えていきます。

 

私は高校生(16歳)で発病しましたが、病気について調べていくと、同じように高校時代に発病という方が結構多いなあと感じました。

 

まだまだ若い10代で、思春期真っただ中の高校生が難病を抱えるって、体だけでなく精神的にも大変なこと。

 

そんな若いみんなにむけて、私が通ってきた道が少しでも参考になればと思い、「高校生とSLE」をテーマにいくつか記事を書いてみようと思いました。

 

膠原病(全身性エリテマトーデス)を高校生の時に発症!通院から病名を診断されるまで

膠原病発症から診断まで

 

海と山に囲まれた美しい九州の港町で生まれ育った私。

 

男兄弟に囲まれて育ちましたが、兄や弟と比べ風邪をひいたりすることも少なく、健康優良児として成長しました。

 

中学生の時はソフトテニス部に所属し、県内有数の強豪校の選手として、お日様にさんさんと照らされる中で練習に励む毎日を送ります。

 

中学を卒業後は、バスと電車、自転車を乗り継いで一時間くらいかかる市内中心部の高校へ進学。

 

高校一年生の時は慣れない新生活に戸惑いつつも、仲の良い友達も徐々に増え、楽しい学生生活を送っていました。

 

膠原病の足音が聞こえたのが、高校2年生が始まったばかりの春のこと。

 

新学期が始まってから、両頬から鼻にかけて、赤紫色の大きな発疹が現れるようになりました。

 

ちょうど新年度のクラス写真撮影の時期が重なり、なるべく赤い頬が映らないようにと、髪の毛で隠しながら写りました。

 

そのころ同級生たちは大人への階段を上り始めていて、私も例にもれず、初めてのお化粧に興味津々。

 

顔の発疹は慣れない化粧品のせいだと思い、皮膚科を受診することにしました。

 

自分の予想したとおり、皮膚科では「化粧まけ」という診断をもらい、塗り薬と、一週間に一度の赤外線治療を続けることになりました。

 

そんな中で、顔とは別に体のだるさを徐々に感じるように。

 

週末になると一気に疲れが出て、ずっと横になってテレビをみたり、ねていることが多くなりました。

 

歩くたびに膝やくるぶしの関節に痛みが走るようになり、友達に心配されたこともありました。

 

さらに、自転車通学で冷たい風に当たると、10本すべての指先が、幽霊のような真っ白な色に変わることにも気づきました。

 

最初に皮膚科を受診した日から数日たっても顔の赤みは全く引かず。

 

16歳の女の子ですから、体の不調は感じつつも一番治したいのは顔の発疹です。

 

他のお医者さんに診てもらおうと、学校帰りに腕の良いおじいさん先生がいる皮膚科へ行きました。

 

おじいさん先生の診察が始まり、顔の発疹を見た瞬間に「これは化粧まけじゃなくて、他の病気の可能性があるよ」と告げられました。

 

その日の診察で血液検査をし、検査結果は親と一緒に聞きに来て欲しいと。

 

経験の長い先生だったので、顔を見てすぐに全身性エリテマトーデスの典型的な蝶形紅斑(ちょうけいこうはん)だと分かったのでしょう。

 

その時に「おそらくこの薬が効くでしょう」と言って出されたのが、人生で初めてのプレドニンでした。

 

プレドニンの量はどのくらいだったか覚えていないのですが、たぶん5㎎とか、そのくらいだったのかな。

 

プレドニンを飲み始めてすぐ顔の発疹が茶色く枯れていき、これはすごいお薬だなと感心した記憶があります。

 

一週間後、母と一緒に検査結果を聞きに行き、膠原病の全身性エリテマトーデスだと診断されました。

 

一生治らないことと、一生薬を飲み続ける可能性があるという説明をうけ、詳しい検査のために大きな病院へ紹介状を書いてもらいました。

 

いきなり目の前に現れた「不治の病」に、自分の話ではないような…。

 

テレビドラマの主人公になっちゃったみたいね、と、他人事のように感じていた半面、未知の病気との遭遇に自分はどうなってしまうのだろうという不安があふれていました。

 

膠原病(全身性エリテマトーデス)の症状で辛かった入院前の授業&入院にいたるまでの経緯

膠原病で入院までの学校生活

 

おじいさん先生の皮膚科で全身性エリテマトーデスと診断された後、大きな病院へ行くタイミングを待っていた頃。

 

身体のだるさはつづくけれど、学校にいけないほどではないと思い、診断後も変わらず高校へ通っていました。

 

プレドニンのおかげで顔は治りつつあるものの、体のキツさはどんどん増していきます。

 

友達との楽しい話にも、だんだん参加できなくなり、みんなに心配されるように。

 

授業中も机に突っ伏したい気持ちを抑えながらなんとかやりきっていましたが、問題は体育。

 

座っているのも大変なので、体育に参加するのはかなりきつい。

 

授業の途中で立っていられなくなり、友達に連れられて体育館の隅に座っていたところ、体育の先生が声をかけてくれました。

 

「体がきつくてどうしようもない」と訴えたら、「体がだるいって、腎臓が悪いんやないか?」と言って去って行ったのをすごくよく覚えています。

 

れれくん
何しに来たんやろ、その先生?

 

新学期が始まったばかりで、膠原病と診断されて日が浅かったのもあり、担任の先生にもまだ病気の事を話していなかったのですが、早めに報告しておけば学校で無理することもなかったのかもしれません。

 

皮膚科で膠原病と診断されてから一週間以上たったある日、とうとう自分で動けなくなります。

 

紹介された大きな病院の予約日はまだ先でしたが、夜中に緊急で連絡し、車を飛ばして外来へ。

 

夜の車の窓を流れるライトをみながら、自分の身体で何が起こっているのだろう?とぼんやりしていました。

 

駐車場に車を停め、父におんぶされて病院内に入りました。

 

待合室の椅子で横になって、しばらく待たされた記憶があります。

 

お医者さんが到着し、診察室まで歩いて行きました(らしい)。

 

後で聞いた話、あれだけの症状があるのに、自分の足で歩いて診察室に入ったのには驚いたと看護師さんにビックリされていたそうです。

 

私はというと、意識が朦朧としていたんでしょう。その時のことはとぎれとぎれにしか覚えていません。

 

その晩から、学校を長期間休むことになり、人生で初めての入院生活が始まったのでした。

 

おわりに

振り返ってみると、当事者だった私のほうが病気の事をよくわかっておらず、目の前で弱り切っている娘を救急搬送する両親の気持ちを想像することもできていませんでした。

 

高校生だったから無理もないですが。。。

 

大人になって、子どもを持つ親になって、あの時の両親の不安や心配が手に取るように分かりますね。

 

全身性エリテマトーデスの患者は日本全国に10万人程ですが、中には病名が分からずに何年も苦しみに耐えていたという方も多くいるそうです。

 

10代で難病持ちになってしまったけど、二件目の皮膚科で全身性エリテマトーデスと診断され、大きな病院へ紹介されたことは、運がよかったのだろうなと今も思っています。

 

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