ハロー!うくれれです。
高校2年生が始まったばかりの春、当時16歳だった私は全身性エリテマトーデスという奇妙な名前の難病を発症していると診断されました。
自分が病気になるなんて、と、まるでドラマの主人公になったような、他人事のような気持ちで通学を続けていましたが、体調は悪くなる一方。
ついに自力で動くことができなくなり、夜中に緊急で病院にいき、そのまま入院となりました。
この記事では、前回の「発症から入院まで」に続き、高校生とSLEをテーマに、当時の入院生活について振り返ってみたいと思います。
Contents
高校生で膠原病(全身性エリテマトーデス)と診断後即開始した入院生活の様子と病状の経過
皮膚科で全身性エリテマトーデスと診断され、大きな病院を紹介されましたが、予約の日を待たずに病状が悪化し、ついに夜中に救急外来へ。
そのまま入院しましょうという状況になり、今までの生活が一変した夜でした。
発症から入院まではこちら
自分のことで親や看護師さん、お医者さんがあれこれ世話をしてくれているのですが、それも他人事のように感じながら、人の行き来をを眺めていました。
夜が明けて目を覚ますと、入院病棟独特の殺風景な部屋に気づき、「そういえば、病院にいるんだな」とぼんやり思います。
本格的な治療は始まっていませんでしたが、病院にいるという安心からか、少しだけ倦怠感が治まっているように感じました。
学校の事が気になり母に尋ねたところ、入院したことは先生に伝えているから、心配しなくてもいいよと。
当時はスマホなどはなかったので、学校の誰とも気軽に連絡を取ることはできません。
仲の良い友達はどうしているのかな、きっと担任から入院していることを聞いてるだろう。などと思いながら、慣れない入院生活がスタートしました。
しかし、入院してすぐ、もっと施設が充実したところへ転院した方が良いとなり、大学病院に移ります。
病院とは無縁だった16歳が、短期間に二つの大病院をはしごするとは。
気丈にふるまっていたつもりでしたが、不安のコップがいっぱいになり、大学病院へ移動する車内で、親に分からないように涙を流しました。
大学病院に到着して、病棟に案内されると、そこには膠原病の患者さんが沢山入院していました。
年上の女性が多く、みんな決まってやせっぽっちだけど、顔だけは丸々と太っている。
新入りで病棟には珍しい10代の私を、みんな優しく迎えてくれました。
ベッドに落ち着く間もなく、精密な検査が次々と予定されていきます。
腎生検、胃カメラ、心電図、心エコー、その他にも沢山の検査を受けましたが、もう忘れちゃった。
車いすであちこちの検査室へ連れていかれ、機械をつながれたり、カメラを突っ込まれたりと、まな板の上の鯉状態です。
自分の身体が知らない人たちの手に渡ってしまい、コントロールされているような気分になるのは、思春期だった私にとって本当につらかった。
検査ばかりで先の見えない毎日に、16歳の私の心は限界でした。
ある日ベッドの上で鼻血が出てしまい、母や看護師さんがわらわらと集まってきたとき、こらえていたものが鼻血と共に爆発し、初めて本気で号泣することができました。
私はもともと我慢強かったんだなと、今振り返ってしみじみ。
病気がある人は我慢強くて偉いね、なんて思われがちですが・・・
我慢強いから自分の限界が分からずに我慢し続け、我慢できなくなるほど病状を悪化させてしまう人が多いのではないかとも思う。
多くの検査の中でも重要な腎生検では、全身性エリテマトーデスにみられる腎臓の障害などが見つからなかったのは、とても良いことだとお医者さんに説明されたのをよく覚えています。
一通り検査が終わったら、ステロイドを中心とした治療が開始しました。
メインはやはりステロイドパルス療法。
大量のステロイドを点滴で直接体内に注入し、膠原病の勢いを押さえつけるための治療です。
おもしろいもので、ステロイドパルスを受けてすぐに顔の紅斑がすっかり枯れてしまい、茶色くなった皮がぽろぽろむけていきます。
高校生でお年頃だったため、皮をはげば元通りの肌が現れるのが嬉しくてうれしくて、暇つぶしにずっと顔をさわっていたな…。
という喜びもつかの間、今度はほっぺたを中心に顔がどんどん丸く膨れ上がっていきました。
ステロイドの治療を開始する前に一通りの副作用の説明は受けており、これがうわさの「ムーンフェイス」なのかと、感心したことを覚えています。
いずれ元に戻るということだったので、せっかくだから膨れ上がった顔を記念にとっておこうと思い、カメラでパチリ!
病棟に初めて来たとき「みんな顔だけ太って体はやせっぽっち」と思いましたが、私も晴れてみなさんの仲間入りをしたというわけです。
入院生活を楽しく支えてくれた学校の友達
パルス療法は2クールで終了し、投薬治療が開始されました。
入院しているとはいえ、お薬を飲むだけで特別な処置はほとんどなく、はっきり言って退屈です。
朝起きて、ご飯を食べて、テレビを見たり本を読んだりの繰り返しの毎日で、唯一の楽しみだったのが同じ高校の友達がお見舞いに来てくれること。
女子高生らしく数人の仲良しグループに属していましたが、友達二人ずつがペアになって、毎週入れ替わりで来てくれていました。
私が通っていた学校から大学病院まではバスで40分くらいかかる場所にあり、放課後に制服を着たままバスにゆられてきてくれたみんな。
住んでいる場所もそれぞれ違うのに、学校よりさらに遠い病院に定期的に通うのは高校生の女の子にとって大変な事だったと思います。(バス代もかかるしね)
高校生にとって、学校や友達との時間は生活の全てと言っても過言ではありません。少し離れただけでも世界中から置いてけぼりをくらったような気持ちになりますよね。
入院中でも自分だけ取り残されたような気持ちにならず、安心して退院まで過ごせたのは、紛れもなく優しい友達のおかげだったと。
学校での出来事や、何でもないオモシロ話から、現在進行形の恋バナまで、本当によくしゃべった。
みんな病気の私に必要以上の気を遣うことなく、ムーンフェイスでまん丸の顔を面白くいじってきたりして、あけっぴろげなところにも救われました。
「私は特別じゃないんだ、今まで通りみんなと同じように過ごせるんだ」そう思わせてくれました。
当時の友達とは卒業後もずっと仲良しでしたが、それぞれ結婚して、住む場所や生活の中心が変わってからは連絡を取り合うことも少なくなりました。
それでも日本に帰国したときには会いに行き、くだらない話をしては「高校時代と何も変わらないね」と笑い合っています。
入院中の学習遅れ対策は?できることからコツコツやろう!
学生にとって友達と同じくらい重要なのが勉強です。
ほぼ丸ごと一学期間入院していたため、一年の3分の1を休んでいたことになりますから、当然、その間の授業内容も空白のまま。
この遅れをどう取り戻せばよいのか?体が回復して余裕ができた私の心に焦りが生じ始めました。
学校に通うようにきっちりとした勉強はできないけれど、自主勉でやれる範囲はこなしていかなければ。
現在のようにオンライン授業など便利なものが無かったため、教科書を利用して地道に学習を続けました。
教科書だけでは理解が難しい教科や問題については、毎週来てくれる友達のノートを借りたり、分かりやすくプリントにまとめてもらったりしていました。
ベッドの上での勉強でしたが、集中して続けることができた理由に病院の生活リズムがきっちりしていることが挙げられると思います。
起床、朝食、昼食、夕食、就寝と、特別な検査がない限りは型どおりに時間が進んでいくので、勉強時間を割り当てるのが簡単ですよね。
当時はスマホなど気が散るものもなかったので、わりと黙々と取り組めていたと思います。
そのおかげで、パソコンや実習が必要な教科を除いては、勉強の遅れを感じることはありませんでした。
学習遅れ対策というよりか、やるべきことをコツコツやっていただけなんですけど、退院後初めての定期テストでは、同じ学科の中で一桁に入れるほど成績が上がっていました…!?
学校を休んでいたのに成績が爆上がりしているって、どういうことなんでしょう?と、ビックリしたと同時に、入院前はどれだけ勉学に集中できていなかったのかが明らかにされた瞬間でした。
学校に通っていると、教室で受ける授業以外に体育や家庭科、休み時間、友達と過ごす放課後などのほうが面白いし、忙しい。
忙しくしていた時間の多くをうばわれ、勉強に集中せざるを得なかったのが吉と出たのでしょう。(暇すぎてやることが勉強しかなかったとも言える)
学校休んで頭がよくなるって変な話ですけど、入院したおかげで「私ってやればできる子だわ」と自信につながったのは良かったと思っています。
おわりに
高校生という多感な時期に大病を患うというのは、大人になった今振り返れば本当によく頑張ったなと、当時の自分をほめてあげたくなります。
たった16歳で、急に大きな病気を背負うことになり、不安を抱えながらも乗り越えることができた。今の幸せがあるのはあの頃の私のおかげ。
当時の自分に会うことができるのなら、ぎゅっと抱きしめて「ありがとう」と言うでしょう。
今、10代で膠原病を発症し、不安を感じている方がこのブログを読んでくれているなら、「きっとそんな日がくると思って、楽しみを持ってがんばってね」と伝えたいです。